〜ゴールフォートのとある軒先〜 |
今日から今年の8月に連載した『海を渡った大和撫子たち』の続きを
書こうと思う。
8月の終わり頃、日本に帰国していた雅子さんファミリーは
スリランカへと帰って行った。
京都では山のように一保堂の番茶や、ジューサーなど大型のものまで
カフェに必要な道具や食材を見て回って購入していた。
『11月のカフェオープンまでにemyさん、スリランカへ来られませんか?
これからなかなか日本へも帰って来られませんし、
お店が始まったら忙しくなってしまうので、それまでに
来れそうだったら来てくださいよ!
何とか撮影出来るように今、頑張って店の改装も進めていますから・・』
その言葉を聞いて、慌てて仕事のスケジュールをチェックする。
10月、東京出張が入っていたけれど、
その後、無理矢理2週間休みをねじ込んだ。
東京から戻って、直ぐにスリランカ・・
本当に大丈夫なのかちょっと心配だったけれど、
その時にしか長期出張を取るチャンスがなかった。
それにカフェのメニューや店舗の撮影を考えていたので
10月中に行かなければならなかった。
何時ものように楽観的に
『何とかなるでしょう!!』
と慌ててエアーチケットの手配をした。
そしてスリランカへ出発する1ヶ月前頃から
京都の町家には大小のダンボールが毎日送り込まれた。
それは、雅子さんがカフェオープンに向けて必要な
食器や掃除&調理用具、そして書籍から細かい所では化粧品まで・・
何故、町家に送られてくるのか?
それはemyが仲介役をかって船便の手配を引き受けたからだ。
『日本で出来る事は何でもするから言って!』
その言葉は何時ものようにさらっと自然に出て来た。
『え〜!!本当に良いんですか??』
戸惑う雅子さん。
そりゃ〜そうだ。
いくら友人だからと言ってもこんな手間のかかる作業、
そう簡単には頼めない。
しかし、自分に出来る事は何でもしてあげたい・・。
それは雅子さんに対してだけでなく、誰に対しても思っている事だ。
そんな無防備なemyに雅子さんは真剣に心配をしてくれる時がある。
『emyさん!もうちょっと自分の事を考えてくださいよ・・
そんな事を言ってくださるなんて・・助かるのは事実ですけれど・・』
あれ?
こんな感じで簡単に引き受けてしまう感覚・・おかしい??
何の計算も、考えもなくホスピタリティーを出してしまうのは
時に自分の首を締めてしまうのも事実。
でも、無意識に出てしまうこの言葉は止める事が出来ない。
持って生まれた性格と言えばそれまでだが、
このDNA、父親から受け継いでいるのも否めない。
そう・・
父は私以上に、弱い人や困っている人を無視する事が出来ない。
もしかして、この人は家族以上に他人に親切なんじゃないかと
疑う事もしばし。
でも、そんな父のホスピタリティーを感じたのは大人になってからだ。
寡黙な父は娘に対して厳しかった。
学生時代、耳にタコが出来るくらい『常識』と言う言葉を使う父に
ちょっとした反抗心もあった。
何が常識だ!!
そんな言葉に縛られる度に自分の行動が、否定されているようで
嫌悪感があった。
それに人に親切にする事は自己満足の世界ではないのかと疑ってもいた。
でも、父は違っていた。
『情けは人の為ならず』
と言う古いことわざがあるけれど、
父の生き様を見ていて、まさにその意味が
ピッタリとあてはまる事が多々あった。
そして父は自分の取っている行動に対して、
何も語らなかった。
でも自然に『自分に出来る事はやってあげる』事の意味を
勉強させられた。
それにたった1人で異国の地で頑張る彼女を
応援したかった。
2年前スリランカへ移住して、
普通では考えられない苦労の連続で、
それでもジャパニーズカフェをオープンさせる情熱・・。
片言の英語とほとんど話せないシンハラ語、
娘のリラちゃんの語学力が助けとなって
ゴールフォートに素敵な物件を見つけ出した。
日本では普通である事が全くまかり通らない南国気質で、
良くあそこまで話を進められたのか奇跡としか言いようが無い。
とーぜん、彼女の努力もある。
努力以上にやはり彼女はインド洋に浮かぶ島と縁が深いのだ。
『何か町家でお商売を始められるんですか?』
とあまりにも頻繁に届けられる荷物を運びながら
宅急便のおにーさんは首をかしげる・笑。
いえいえ・・
此処はただの中継地点!
それにしても、凄い勢いでやってくるダンボールの山を見ながら
雅子さんも容赦が無いな・・っと思わず笑みがこぼれた。
to be next ・・
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